エディ・アイカウ アートカルチャー 12"×16"(30.5×40.6cm) #7
エディ・アイカウ アートカルチャー 12"×16"(30.5×40.6cm) #7
#7
■Size
・外枠サイズ 12"×16"(30.5×40.6cm)
■ご購入時のご注意
・商品のお色目は実物により近くなるよう努力しておりますが、お客様のモニター環境により実物と多少色合いが異なる場合がございます旨、あらかじめご了承ください。
・外枠が一部画像とは異なる場合があります
ハワイの英雄 エディ・アイカウとは
エドワード・ライアン・アイカウ(Edward Ryan Aikau , 1946年5月4日 – 1978年3月17日)は、1946年、ハワイ マウイ島で生まれる。22歳の時、ワイメア・ベイでオアフ島ノースショア初のライフガードとなった。その間、ひとりの命も失うこと無く500人以上の人々を救う。1977年には『デューク・カハナモク・サーフィン・チャンピオンシップ』で優勝し、ビッグウェイブサーファーとして国際的な名誉を得る。1978年、エディは60フィートのポリネシア双胴カヌー、ホクレア号の乗組員に志願し、ハワイとタヒチ間4000km,30日間の航海へ。その際、モロカイ島約19km付近でカヌーは大きな荒波にあおられ転覆。エディは仲間を守るため、助けを求めて果敢にサーフボードをパドリングしてラナイ島へ向かった。しかしそれが彼が目撃された最後の姿となった。
エディの意志を継ぐため、1985年に『エディ・アイカウ・メモリアル・サーフィン・インビテーショナル・コンテスト』が設立。ワイメアベイで、波の高さが最低14mに達した時にのみ開催され、トップ28人のビッグウェイバーだけを招待している。
“EDDIE WOULD GO “(エディなら行くぜ)は、波が大きく危険だった1回目のコンテストでマーク・フーガ行った言葉。エディの救助活動に対する積極的な姿勢と、大波に挑む勇気を表す象徴の言葉としてハワイアンの心に生き続けている。